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2020.05.14
犬の昔話が「走れメロス」の元ネタ?太宰治と犬のお話[#selfishな歴史犬聞録]
国語の教科書にも採用されている、「走れメロス」という作品。日本が誇る文豪、太宰治の作品です。多くの人々に愛されている走れメロスの物語ですが、このお話と同じようなストーリーの犬に関する日本の昔話がありました。
太宰治の作品の中から、犬に関連する短い小説も交えながらご紹介できればと思います。
今回もスタッフの極私的な犬偏愛目線で読み解いた[#selfishな歴史犬聞録]の小話です。
「走れメロス」のあらすじ
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王を除かなければならぬと決意した。
――というとても有名な書き出しで始まる走れメロス。
きわめて簡潔に簡単にあらすじを説明すると、悪政を敷いている王に反抗して怒りを買ったメロス。処刑が決まった当日は、なんと妹の結婚式でした。妹の結婚式に出席するため、代わりに囚われる役割を負ってくれた親友・セリヌンティウスを救うため、メロスは長い道のりを走っていくことを決意。メロスは3日後の日没までに妹の結婚式を見届け、親友のもとへ戻ることが出来るのか…!?
というお話です。結果として3日目の日没の直前にセリヌンティウスのもとへ戻ってきたメロスと、親友を信頼して代わりを申し出たセリヌンティウスの二人の姿に感動した王は、互いを信頼する心を取り戻し、改心して二人を釈放したのでした。
主人公とその親友の友情と、タイムリミットまでに戻れるのか、というハラハラドキドキの展開から太宰治の作品の中でも、とくに有名な小説です。
飼い主のために「走れシロ」ならぬ、「犬ぼえの森のお話」
飼い主と犬なら信頼関係もより強く、そして疑うことのない絆で結ばれますよね。
忠犬ハチ公の話とか南極物語などは何回読んでも感動で涙腺が緩みっぱなしになりますが、「走れ●●」。メロス風の物語もありました。
昔、現在の東北地方に大変腕の良い猟師がいました。相棒は白い犬のシロ。当時は特定の地域でのみ猟が認められるのが通例でしたが、この猟師とシロは腕を買われて、地元以外のさまざまな場所で猟をする許可をお殿様からいただいていたのでした。
ある日、猟師がいつものように猟をしていると、とても立派なカモシカを見つけます。シロと協力して追い詰めますが、気づかぬうちに1人と1頭は、どんどん山の奥へと入っていってしまいました。無事に獲物を捕らえると、周囲には地元のほかの猟師や役人が集まってきました。
猟師とシロは、カモシカを追うのに夢中で、隣の国の境を超えてしまっていたことに気が付かなかったのです。人々は「こんなところで無許可で猟をするなんて」と責め立てます。猟師は慌ててお殿様からいただいた許可証を探しますが、こんな日に限って家に忘れてきてしまいました。弁明しても聞いてもらえず、猟師は囚われてしまいました。
その日の晩、囚われた猟師のそばへ、人目を盗んで飼い主を探し出したシロがやってきました。シロへ猟師は言いました。「シロや、明日の朝までにあの巻物を持ってきておくれ。あれがないと私は処罰されてしまうよ。」シロは何かを理解したように一目散に雪道を駆け抜けていきます。目的地は、もちろん猟師とシロの家です。
山を越え、谷を越え、無事に家にたどり着いたシロは家族に手渡された巻物(許可証)をくわえて再び真っ暗な雪道を走っていきます。途中、雪道にシロの足から出た血が赤い跡を残しましたが、構わず走り続けました。
必死に走ったシロは、朝方に猟師のもとへたどり着きました。ところがその時、もうすでに猟師は亡くなっていたのでした。シロは間に合わなかったことを悔やむように、そして大好きだった飼い主を思い出して「ウォーン!」と何度も大きな声で遠吠えを繰り返しました。飼い主を慕うシロの声が聞こえる、いつしかその森を「犬ぼえの森」と呼ぶようになったのだとか。
走れメロスでは、メロスは間に合い親友と喜び合いますが、シロは必死に走り続けたのに報われず、とっても悲しい結末になっています。飼い主のために必死に雪道を駆け抜けたシロの忠実な姿に、胸が締め付けられます。
しかし、メロスとセリヌンティウスの友情に引けを取らないほど、猟師とシロの間にもとても強い絆があったことが読み取れます。
「走れメロス」と「犬ぼえの森」の共通点について
走れメロスと犬ぼえの森はどちらも、「大切な人を救うために期限までに戻ってくる」ということが話の大筋になっています。走れメロスの元ネタとなった話は古代ギリシャの書物にあるエピソードだといわれていますが、シロの物語は、資料によっては東北地方の中でも南部地方の森が舞台になっているといわれています。南部地方と言えば、青森県の東部を構成する地域です。そして、走れメロスの作者である太宰治の出身地は青森県。
こんなに離れた地域で同じようなストーリーラインの話があるというのも興味深いですよね。
夏目漱石や谷崎潤一郎が猫好きなことのように、広く知られていることではないのですが、もしかすると太宰治はも犬が好きだったのでは?と思わせられる作品も存在しています。
最後に太宰治のちょっとヒネくれた犬への愛情を感じる作品をご紹介します。
ちょこっと補足太宰治は犬が苦手だった?作品にみる犬への愛情
太宰治の作品の中には、犬との暮らしを描いたものもあります。その作品は現在では死語となっている「畜犬談」というタイトル。内容の一部にも、現代の私たちには少しショッキングな内容も含まれているのですが、物語の最後には、太宰治の犬への愛情を感じずにはいられない不思議な魅力のある作品です。
「畜犬談」は、犬が怖くて怖くて仕方がない主人公が、犬がどれほど恐ろしく見えているかということから始まります。犬が苦手な人にとって、犬がどのように見えているのかの参考にもなるかもしれませんね。
この主人公、一生懸命頭を使って「犬に噛まれぬよう」工夫をするのですが、その工夫がどういう訳か結果的に犬に大好評。たくさんの犬に懐かれてしまいます。
そんな折、とある1頭の子犬と出会います。主人公について回るちょっと風変わりな姿をした子犬と一緒に暮らし始めた頃から、少しずつ主人公に変化が見られます。
イタズラをしたり、散歩をしたり。犬が苦手な主人公でも構わず、嬉しそうに接してくる子犬。文章上では変わらず犬が怖くて仕方がない主人公ですが、なんだか「文句ばかり言っているお父さんが一番犬をかわいがっている図」にしか見えないのです。
イタズラをした犬を叱るシーンは、犬が苦手なお父さんが(嫌味のつもりで)犬にお説教をすると、きちんと犬は「ノー!」を理解してみせるなど、しっかりとコミュニケーションが取れているのが実に面白いのです。
この後、物語は主人公の引っ越しが決まったり、犬が病気になってしまい、重大な決断を迫られたりと進んでいきます。
あれほど犬が苦手で、文句ばかり言っていた主人公ですが、重大な選択を迫られたとき、取った選択肢に胸が締め付けられる名作です。
「青空文庫」というオンライン図書で無料で最後まで読めますので、ぜひ一度読んでみてくださいね。
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太宰治は犬が苦手だったのか、というと決してそうではないと思うのです。まず、この文句を言いつつも結果的に犬に愛情深く接しているという面白さ、これはやはり犬に愛情を持っているひとでなければ描けないことだと思います。
何より、物語の中では犬に好かれることをきちんと理解しているのですから。ちょっと気難しいお父さんがだんだん犬に愛情を感じるようになっていくプロセスなども、とてもリアルに良く描かれているように思います。さらに言うと、このお話の中の犬の名前は……、ぜひ読んでみてくださいね。
おわりに
今回は、太宰治の名作である「走れメロス」みたいに、飼い主のために走り続ける犬が出てくる東北地方の昔話と、犬が出てくる太宰治の作品、そして、太宰の気持ちを勝手に解釈してご紹介しました。また、太宰治はあまり「犬」というイメージがない作家ではありますが、独特の視線で犬と暮らす気難しいお父さんの心境を上手く描いていたことも注目したいポイントです。
「犬好き」とはちょっと違う、でもなんだか分かってしまうリアルさが魅力のひとつになっています。
「日本の文豪」といわれる人では、川端康成や志賀直哉といった人たちが犬好きで知られています。特に川端康成は犬のしつけに関する本も執筆するほどの犬好き。彼の作品にも犬に関するものがいくつかあるので、それらの作品と川端康成と家族の犬たちについても、改めてご紹介できればと思います。
家にいる時間が長いなと感じたら、それだからこそ、普段読まない「文豪」の世界の中に時間をかけて犬の姿を探してみる、というのもちょっとありかもしれません。