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2023.09.07

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.30 ペットのお墓、どうしてますか?

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.30 ペットのお墓、どうしてますか?

写真・文 内村コースケ

犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。

お盆に帰ってきた遺骨たち

お盆期間中に、昨年まで定住していた別荘から、愛犬たちの遺骨を持ってきた。山を一つ超えた実家に移ってからこの1年、今一緒に暮らしている「マメスケ」の断脚手術からのリハビリに精一杯で、前の犬たちの遺骨は誰もいない別荘にほったらかしになっていたのだ。とてもかわいそうなことをしてしまった。亡くなった順に、「爺さん」「ゴ−スケ」「マメ」。別荘で使っていた3頭分の骨壷置き場にちょうど良い3段のコーナーラックごと、飾っていた写真や、首輪、お気に入りのぬいぐるみなどの遺品と一緒に、今の家の寝室に移した。



今の家の寝室に収まった3頭分の骨壷

今の家の寝室に収まった3頭分の骨壷



以前住んでいた別荘のリビング。左隅のコーナーラックに骨壷を置いていた

以前住んでいた別荘のリビング。左隅のコーナーラックに骨壷を置いていた

僕は決して信心深い方ではないけれど、寝室に収まった3頭を眺めながら、「1年間寂しい思いをさせてごめんね」という気持ちと、「これでまた一緒だね」という気持ちが入り混じって、胸がキュンとしてしまった。

犬たちと一緒にお墓に入りたい

遺骨と一緒に飾っている思い出の写真

遺骨と一緒に飾っている思い出の写真

ところで、皆さんはペットのお墓はどうしていますか?人であれば遺骨はお墓やお寺に収めるのが常識だけど、最近は自宅保管する「手元供養」も増えている。僕が犬たちの遺骨を自宅保管しているのは、残された自分たちはもちろん、犬たちも一緒にいたいだろうと思うからだ。お墓や納骨堂に収めたからといって離れ離れになるわけではないけれど、仏教などの宗教観とは別の次元で、手元に置いておきたいという気持ちが勝ってしまう。

そして願わくば、自分が死んだら犬たちと一緒にお墓に入りたい。そうすることが、生前から犬たちと交わした「ずっと一緒だよ」という約束を果たす一つの形だと僕は考えている。今回、それをちゃんと遺言に残しておかなければなあ、と改めて思ったしだいだ。だから、この3段のコーナーラックからお墓にちゃんと遺骨を移すのは、自分か妻が死んだ後になるだろう。

近年は、「ペットと一緒に入れるお墓」が増えているから、こうした願いを叶えるのは難しくはないはずだ。もともと、ペットと一緒にお墓に入るのは法律で禁じられているわけではない。法律上、墓地に埋葬して良い「遺骨」は人間のものに限られるが、動物の遺骨を人のお墓に遺品の一つとして収めるのは違法ではない。ただ、仏教では輪廻転生の概念の中で、人間が属する「人間道」と犬や猫が属する「畜生道」は異なるという考え方があり、ペットとの共葬を受け入れない墓地が多い。その中で、近年はペットを家族の一員として迎える人が多くなり、そのあたりの考え方が柔軟になってきていて、「ペットと入れるお墓」というキャッチフレーズの広告もよく目にするようになった。

ぞれぞれの供養の形

父の遺影と並ぶ、自宅リビングのマリーのお骨

父の遺影と並ぶ、自宅リビングのマリーのお骨

実家で母がかわいがっていたゴールデン・レトリーバーの「マリー」も、骨壷のまま父の遺影の隣に収まっている。あらためて聞いたことはないが、母も僕と同じように考えているのだろう。一方、マリーの兄弟で、近くに住む親戚と暮らしていた「コナー」は、庭の片隅にちゃんとお墓を作ってもらっている。その家では長年猫も飼っていて、歴代の猫たちも一緒に眠っている。墓石は職人さんに特注して作ってもらったそうだ。



親戚宅のコナーと猫たちのお墓

親戚宅のコナーと猫たちのお墓

一方、今僕たちと一緒に暮らしているラブラドール・レトリーバーのマメスケの場合は、また事情が異なる。彼は、アイメイト(公益財団法人「アイメイト協会」出身の盲導犬)のリタイア犬で、複数の家族を持っている。生まれたボランティア家庭、1歳まで育ったボランティア家庭、訓練を受けたアイメイト協会、長年目となって働いた視覚障害者の家庭、そして、老後を過ごす我が家。マメスケは、その誰にとっても「うちの子」であり、それぞれの家族に平等に愛情を注いできた。

じゃあ、お墓はどうするの?という疑問が湧いてくるが、東京近郊の「慈恵院」というお寺に、ちゃんと「アイメイトの墓」がある。元アイメイトたちは、そこで仲間たちと仲良く暮らし、生前と変わらず人々の傍らにいて、僕たち皆に天国から寄り添ってくれている。



東京・慈恵院のアイメイトのお墓

東京・慈恵院のアイメイトのお墓

天国へと続く永遠の思い出

我が家の永遠の愛犬たち。マメ(左上)、爺さん(右上)、ゴ−スケ

我が家の永遠の愛犬たち。マメ(左上)、爺さん(右上)、ゴ−スケ

犬と暮らしたことのある我々みんなの心の中に、愛に満ちた思い出がある。亡くなった後の「お墓」の形がどんなものであろうと、思い出は同じように永遠に生き続ける。だから僕は、結局のところあまり形にこだわる必要はないのではないか、とも思う。大切なのは、「永遠の思い出」だ。



爺さんが初めて走った日

爺さんが初めて走った日

「爺さん」は、年老いてから迎えた迷い犬で、悠然としていて、いかにもお爺さん然とした犬だった。最初は警戒心があって動きも緩慢だったけれど、迎えてしばらくして、海に連れて行ったのが転機になった。開放感に満ちた誰もいない夕暮れの砂浜で、突然童心に帰って軽快に走り出したんだよね!その日が、爺さんの本当の「うちの子記念日」。



一緒にどこまでも続く散歩道を歩いてくれたゴ−スケ

一緒にどこまでも続く散歩道を歩いてくれたゴ−スケ

「ゴ−スケ」は、僕たち夫婦が初めて迎えた犬で、感受性が強いイケメンのフレンチ・ブルドッグ。未熟な飼い主のせいで、嫌な思い、怖い思いをたくさんさせてしまったね。それでも、僕を信頼してくれて、当時住んでいた東京の下町の路地を、毎日毎日、何時間も心から楽しそうに一緒に散歩してくれた。子犬の頃は外の世界が怖くて全然歩いてくれなかった君が、僕のためにたくさん歩いてくれたんだよね。当時、僕は10年続けたサラリーマン生活で積み重なった心の傷をたくさん抱えていたけれど、そのモヤモヤをゴ−スケが全部晴らしてくれたんだ。



めいっぱい甘えてくれたマメ

めいっぱい甘えてくれたマメ

「マメ」は、自分を世界一かわいいと思っている、天真爛漫な女の子。マメがいるだけで世界がパッと明るくなる。フレンチ・ブルドッグとしては超長寿な15歳まで、僕たちの太陽になってくれた。甘えん坊のマメが、天国で寂しがって泣いているんじゃないかと時々心配になるけれど、心はずっと一緒だから、きっと大丈夫だね。今でも、僕たちはマメに明るく照らされているよ。

お盆にうちに帰ってきた3頭の、永遠の思い出。

■ 内村コースケ(写真家)

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。