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2021.11.29

Dog Snapshot R 令和の犬景 Vol.9 母と犬の年賀状

Dog Snapshot R 令和の犬景 Vol.9 母と犬の年賀状

写真・文 内村コースケ

犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。

穏やかな老後の暮らしを象徴する犬の笑顔

ゴールデン・レトリーバーの「マリー」と暮らした母の年賀状用の写真を、2014年版から毎年撮っている。母は父と共に2005年に地方の一軒家に移住。庭のバラの手入れなどをしながら老後を過ごしている。マリーと写った年賀状は父が亡くなってからのもので、犬と穏やかに過ごす自然に囲まれた生活を、都会に残してきた親類縁者・友人たちに年に一回報告する意味を兼ねている。

母は今年85歳になったが、元気である。残念ながらマリーは2017年に亡くなり、その後はたびたび訪れる我が家の歴代の犬たちがモデルを引き継いでいる。この年賀状を毎年楽しみにしている人も多いようで、老後の山の暮らしの美しい側面が1枚の写真から伝わっているのだとしたら、とても嬉しい。

そして、犬が一緒に写っているのが「伝わる」最大の要因なのだろうと思う。犬の純真さと都会の不純物から離れた山の暮らしは、ピュアな点で一致する。犬の笑顔は、穏やかな老後の象徴である。

写真は自然体で

ところで、上司や取引先から届く孫の写真の年賀状、そして、特に犬猫に興味のない人にしてみれば、ペットに正月風のコスプレをさせた年賀状などは、反応に困ってしまうこともあるのでは?他人の赤ん坊やペットが「ほら、かわいいでしょう!」とドーンと迫ってきても、内心で困惑するのが平均的な日本人の感覚ではないだろうか。一方、みんながお互いにドドーンと「かわいいでしょう!」合戦をしている欧米のダイレクトな文化では、恥の文化の日本ほどには、困惑はないかもしれない。

さらに、自分の写真を年賀状にするなんてとんでもない!という奥ゆかしい日本人も多いのではないだろうか。実際、年賀状ではないが、母が暮らす山の集落の老夫婦に、同じように山の暮らしを友人知人に伝えるため、庭の草花をテーマにしたフォトブックの撮影と編集を依頼されたことがあるのだが、巻末に夫妻の顔写真をドーンと載せたら、「自慢たらしく思われるので外してほしい」と言われてしまったことがある。

そんなこともあって、年賀状を本人と犬の写真で作るのは諸刃の剣だということは、海外暮らしが長い母も、帰国子女の僕も十分に認識している。だから、「平均的な日本人の感覚で嫌味ったらしく感じないよう、写真は自然体で。しかし、恥ずかしがらずにしっかり近況を伝える」ことを心がけている(そう、実は結構難しいことをやっているんです)。

2022年もまた

そして、来年2022年の年賀状。家の周りの紅葉が盛りのうちに撮ってほしいと母に頼まれたが、コロナが一段落して仕事がポンポンと入り始めた時期と重なってしまい、ワンテンポ遅れて冬景色が混じり合い始めた11月中旬の撮影となった。

モデル犬は、今年2021年版に続き、ラブラドールレトリーバーの「マメスケ」。長年僕たちに連れ添ってくれたフレンチ・ブルドックの「マメ」の後を引き継いだアイメイト(「(公財)アイメイト協会」出身の盲導犬)のリタイア犬だ。家の前の田園風景と赤から茶色に移り変わりつつある木々の色づきをバックに、いつものように自然体を心がけて撮った。

これまでに作った母と犬の年賀状と、来年の分の写真を合わせた9枚を並べて眺めると、年を追うごとに母は老けていくし、犬も3代目へと移り変わっていて、静かに老いていく生物の宿命を感じる。光陰矢の如し、である。でも、それがむしろ自然体で良いと思う。

■ 内村コースケ(写真家)

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。