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2025.07.28
Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.52 都会のショップの看板犬になった狩猟犬
写真・文 内村コースケ
犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。
狩猟犬を山に遺棄する人間の身勝手
都会育ちの僕にとって、狩猟犬は遠い存在でした。絵画などを通じて存在は知ってはいたけれど、現代の日本にはほとんどいないんだろうなあ、と漠然と思っていました。それがとんでもない間違いだと気づいたのは、40歳で長野県に移住してからです。深刻な後継者不足だとはいえ、山国では狩猟は今も生活に根付いています。そして、犬は、今も昔も猟師たちの欠かせないパートナーなのです。近年は、畑を荒らすシカやイノシシ、時には人を襲うクマが増えすぎて、むしろ狩猟犬のニーズは再び高まっているかもしれません。
僕は、犬に仕事をさせること自体には反対ではありません。本能を存分に発揮して大好きな主人と共に働く狩猟犬は、むしろ幸せだと思います。人間の場合も、仕事に生きがいを感じる人の方が多数派なのではないでしょうか。だから僕は、ワーキングドッグを一律にかわいそうだと言う一部の風潮には同意できません。しかし、当然のことながら、ケースバイケースで不幸な例もあります。
狩猟犬の場合は、山に捨てられたり、迷子になってそのまま放置される犬が少なくないと聞きます。それも、「猟期が終わって邪魔になったから」「高齢になって力が落ちたから」「怪我をして使えなくなったから」といった、身勝手な理由がほとんどだといいます。狩猟犬であろうがなかろうが、命に対する責任を放棄していいわけがありません。ちなみに、犬を山などに捨てた場合には、動物愛護法違反で1年以下の懲役または100万円以下の罰金に処されます。
そうした背景から、狩猟が盛んな地域で活動する保護団体のHPを見ると、里親を待つ元狩猟犬がズラリと出てくることがあります。捨てられてしまうのがたとえ全体のごく一部であったとしても、胸が痛みます。その中で、保護されて第二の犬生を送れるケースがあるのは、救いですね。今回は、そんな保護された元狩猟犬の1頭である、ジャーマン・ショートへアード・ポインターの「マリオ」のケースを取材しました。
代表的な鳥猟犬であるポインターは、獲物を追う本能を満足させてくれるボール遊びなどが大好き
狩猟本能を内に秘めた家庭犬
東京・中目黒の目黒川沿いのおしゃれな一角に、マリオに会える輸入眼鏡店「1701 TURANDOT」があります。オーナーの榊原幸絵さんは、毎朝マリオと一緒に、3、40分かけて自宅から店まで歩いてきます。お店のインスタグラムには、商品の紹介の後に、第二の犬生を楽しむマリオの写真がでてきます。ふだんはお店の奥の事務所にいますが、お客さんにはマリオのファンも多く、リクエストがあれば表に出てきます。もともと人には慣れていたので、看板犬としての役目も立派に果たしてくれています。
とはいえ、この犬種は根っからの鳥猟犬。獲物がいる位置を知らせる「ポインティング」(獲物の前に立ち止まって姿勢を低くして片足を上げる)や飛びかかって茂みから鳥を飛び立たせる役割を与えられています。実際に猟をしていたであろうマリオは、最初から家庭犬として育てられたポインターよりも、とりわけこうした狩猟本能が強いようです。
榊原さんのもとへ来てからも、当初は鳥を見つけるとロックオンして強く引っ張って向かっていこうとしたり、他の犬と遭遇した際には、しっかりとリードを握って行動に注意しないといけないシーンが、ままあったとのこと。「これではいつか大きな事故を起こしてしまう」と、トレーナーについて、家庭犬としてしつけ直しました。今はその効果あって、日常の中で強烈な狩猟本能を発揮することはほとんどなくなりましたが、山へ連れて行くと獲物を追う体勢にスイッチが入ることがあるので、要注意だそうです。自然の中では、丈夫なロングリードと万が一のためのGPSマーカー(山に放った狩猟犬に装着する位置情報を発信する機器)が欠かせません。
自然の中を駆け回るマリオは迫力たっぷりで写真映えしますが、東京でのマリオも、都会の風景にブラウンの毛並みが美しく映えて素敵です。植え込みの犬の匂いに反応してぐいぐい引っ張って行くなど、確かに狩猟犬の片鱗を感じるシーンもあるのですが、榊原さんの顔を見上げて盛んにアイコンタクトを取る様子などには、穏やかな家庭犬らしさも強く感じます。狩猟犬の本能と誇りを胸に秘めつつ、都会の家庭犬生活にしっかり馴染んでいるといったところでしょうか。
迷い犬を保護したのをきっかけに
榊原さんは、マリオの前には、ラブラドール・レトリーバーの「ビリー」と暮らしていました。ビリーの晩年に今のお店を開き、マリオと同じように一緒にお店に出勤していました。開店から1年ほどでビリーは亡くなってしまい、その後しばらくは、仕事に集中するために犬は飼っていませんでした。
まだビリーと暮らしていた時期のことです。「次は保護犬を迎えよう」と思うきっかけになる出来事がありました。「兵庫県の実家に帰った時のことです。日本犬のような犬が、鎖をつけたまま国道を歩いていたんです。迷い犬だと思って保護して警察に連れて行ったのですが、何日経っても飼い主が現れない。このままだと保健所に行くことになるというので、それはかわいそう。でも、ビリーがいる自分には飼えない。そこで保護犬の里親を募集している団体があることを初めて知って、サイトに掲載してもらいました。結果的に知人が引き取ってくれて、その犬は幸せになったのですが、その時に世の中にはさまざまな理由で新たな飼い主を探している犬がいると知り、次は保護犬を迎えようと思いました」。
そして、仕事が落ち着いてきた4年前に、保護団体にコンタクトを取りました。そこで「福島県の山で保護されたポインターが、1カ月ほど前から保健所にいる」と、紹介されたのがマリオでした。推定1、2歳のオス。猟期が終わった直後だったので、お役御免で捨てられたのだろう、ということでした。「後から知ったのですが、そういうケースはよくあるようです。遠方の都会から来たハンターが、連れて帰るのが手間なので、そのまま犬を置いて帰ってしまうこともあると聞きました」。マリオは、人には慣れていて、面会に行った榊原さんに親愛の情を示してくれました。きっと、心根が優しい、いい子です。そんな縁が実って家族に迎えたのでした。
保護犬を迎えるにあたっては冷静な判断も
東京にやってきたマリオは、最初は大通りを走るトラックの音や電車の音に尻尾を巻いて怯えました。リードにも慣れていなくて、歩こうとしなかったり、逆に強く引っ張られたりとチグハグな散歩がしばらく続きました。「私の不注意で他の犬とけんかになってしまったことがありました。耳の先が欠けているのはその時の傷です。このままではいけないと、しばらくトレーナーさんについて、たくさん学ばせてもらいました」。その甲斐あって、今は、他の犬と仲良く遊べます。
「やはり、前のラブラドールと同じふうに考えたらだめなんだな、と思いました。必要とする運動量も全然違って、1日3時間は散歩しています。休みの日には自然がある所に連れて行く。都会と自然の往復みたいな生活です。なるべく犬に時間を費やそうと、私自身の生活リズムも切り替えました」
「私は幸せですけど、マリオはどうなのかな。都会の暮らしよりも山を駆け回る方が良かったのかなあと、たまに思います」。榊原さんとの暮らしが長くなるにつれ、マリオの顔つきが優しくなったと、周りの人たちは言います。それが、マリオが幸せを掴んだことの何よりもの証拠でしょう。
他の人にも同じように保護犬を勧めますか?と聞くと、榊原さんはこう答えました。「私の場合は、正直に言えば、思っていたより大変でした。今はこうして大人しくしていますが、私の不注意で他の犬とけんかさせてしまったり、小型犬に吠え立てたりと失敗もありました。私はたまたま一人身で、迎えた頃はコロナの影響で仕事も暇でマリオにつきっきりになれましたが、犬と真剣に向き合う余裕と時間がない方には積極的にはお勧めできないかもしれません。より多くの人が保護犬を迎える方が良いのは間違いないですが、扱いやすい子が来るとは限りませんから」。
どんな幸せな家族やパートナーにも、大小の苦難の歴史があります。保護犬を迎えるかどうか決める際には、愛情と使命感だけでなく、冷静な判断が求められるのは確かでしょう。そのうえで、「よかったね、マリオ」と声をかけたくなる二人の関係は、とても素敵だと僕は思います。
■ 内村コースケ(写真家)
1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。本連載でも取り上げたアイメイトのリタイア犬との日々を綴った『リタイア犬日記〜3本脚の元アイメイト(盲導犬)の物語〜』で、大空出版「第5回日本写真絵本大賞」毎日小学生新聞賞受賞。同個展をソニーイメージングギャラリー銀座で開催した。


