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2022.03.07

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.12 「犬派」「猫派」の先にあるもの

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.12 「犬派」「猫派」の先にあるもの

写真・文 内村コースケ

犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。

犬派の奥さんと猫派のご主人

先月、「ペットのカレンダーと料理のフォトブックを作りたい」というY子さんの依頼で、鹿児島に飛んだ。Y子さん宅は、鹿児島市郊外の高台にある一軒家。そこで郷土の家庭料理を中心としたオリジナルレシピを主婦層に教えている。ワンフロアを打ち抜いた広いリビング・ダイニングキッチンの窓辺にドッグベッドがあり、そこがトイ・プードルの「モモ(♀4歳)」の居場所になっている。

しばらくモモとじゃれていると、ニャーニャーと猫の声が聞こえて来た。やがて、2階の寝室から、Y子さんのご主人とよく鳴く2匹のトラネコが降りてきた。小さい方が「シマ」、大きい方がその子の「クローバー」。模様はほぼ同じ。シマは元地域猫で、Y子さん宅の庭で5匹の子猫を産んだ。シマと、もらい手のなかった「クローバー」がそのままY子さん宅に居着いた。

シニアの2人暮らしのご夫妻にとって、モモ、シマとクローバーはかけがえのない癒しの存在だ。「私は犬派。主人は猫派。私はモモと、主人は猫たちと、それぞれ別々の寝室で寝ています」。もともと夫妻とも動物好きで、シマとクローバーの前にも猫が、モモの前にはミニチュア・ダックスフントがいた。特に、軽度の認知症を患うご主人にとって、猫の存在は大きい。「前の猫が亡くなったショックで主人は認知症になってしまったんですよ。でも、1年くらいしてシマとクローバーが来て、元気を取り戻してくれました」。確かに、猫たちをあやすご主人はとてもお元気そうだ。

「犬派」「猫派」「両方好き」が伯仲

「犬派」「猫派」とはよく言うが、Y子さん宅のように両方飼っている家庭もあることだし、はっきりと白黒つけるのは難しいと僕は思っている。犬と猫に分かれて家庭内別居(失礼!)のような暮らしをしているY子さん夫妻はまだ好みがはっきり分かれている方だ。とはいえ、当然のことだが、ご夫妻は実のところは「犬派」「猫派」なりに犬も猫も平等にかわいがっている。

というように、様々なケースが考えられるわけだが、少しでも実態に迫ろうと、この原稿を書く少し前に、SNSに「あなたは犬派?猫派?」というトピックを立ててみた。以下、寄せられた主なコメントである。

「猫派です」「今は猫派です。でも犬も好きです」「二刀流です」「歳をとったら猫もいいなぁなんて話しています」「お犬様m(_)m」「犬も猫も飼いましたが、ご縁があるのは猫の方が多いです」「猫派です。犬は経済的に厳しい(^_ ^;)」「両方好きです。でも家で飼ったことがあるのは猫のみ。いつかボーダーコリーとイングリッシュセッターとフレンチブルと一緒に住みたいという夢があります」「ネコ派だけど今はウサギ派」

といった具合で、共働きの現役世代が多い僕の個人タイムラインでは、留守番に向いている猫派がやや優勢だった。でも、犬派が少ないわけではなく、「両方好き」も伯仲している。一方、犬好きな人だけが集まるグループでも同じ質問をしたところ、大勢の犬派に対して「両方」も健闘。「猫です。犬は散歩に連れて行かないとストレスになってしまうからかわいそうです」という猫派もいた。

初めての犬は「猫っぽい」フレンチ・ブルドッグ

僕が長年取材しているアイメイト(盲導犬)使用者の中にも、「実はネコ派です。相棒よごめん」と答えた人もいて、派閥と実際に一緒に暮らしている相手が違うというケースも見受けられる。先の回答例でも触れている人がいるように、経済的事情、住宅事情、家族構成や就業形態など、「犬か猫か」は好みを越えて飼い主の飼育事情に左右される面も大きい。

実は、こうして犬のフォトエッセイを書いている僕も、30を過ぎて犬を飼うまでは猫派を公言していた。ベタベタとまとわりつく犬は煩わしく、お互いが好きなように暮らせる猫の方が性に合っていると思っていたし、末っ子の泣き虫だった子供の頃は、構うと追いかけてくる犬が怖かった。そこから犬を飼うようになったのは、勤めていた会社をやめ、人生の仕切り直しをしようとしていたモラトリアムな時期だ。言い出したのは元々犬好きの妻だが、僕も犬を迎えることに賛成し、「いや、僕は猫がいい」とは言わなかった。

一つには、当時は退職から独立に向けた空白期間になっていて、初めて犬を迎える時間的余裕があったから。また、会社内のゴタゴタで精神的に参っていたので、一緒に気晴らしに散歩をしてくれるような相手が欲しかった。だから、癒しの存在を迎えるなら猫よりも犬がいいと思ったのだ。ただ、迎える犬種を当時はまだ珍しかったフレンチ・ブルドッグにした。性格も見た目も犬の中では猫っぽいと思ったからだ。

フレンチ・ブルドッグと暮らしていたころ

フレンチ・ブルドッグと暮らしていたころ

犬が教えてくれた「みんな違ってそれがいい」

そうして初めて迎えた「ゴースケ」は、犬が寄せてくれる純真な愛の素晴しさを教えてくれた。そして、僕の一番辛い時期に、たくさん一緒に散歩してくれた。やがて、犬は新しい人生に不可欠な存在となり、ゴースケ1歳の誕生日に2頭目のフレンチの「マメ」を迎えた。さらに、保護犬の雑種の「爺さん」、実家のゴールデン・レトリーバーの「マリー」も僕たちと犬生のステージを共にしてくれた。

それぞれに個性的な犬たちと暮らすうちに、「猫っぽい性格」などはどうでも良くなり、どんな犬種も、そしてまだ一緒に暮らす機会はないけれど、猫もかわいいと思うようになった。その延長線上に、今のアイメイトのリタイア犬との暮らしがある。こうして、ほとんどの人は、実際に一緒に暮らしているうちに、犬であろうと猫であろうと、ウサギであろうと、動物そのものが好きになっていくのではないだろうか。

犬猫に限らず、偏見をなくしていけば、あらゆる「違い」が、「みんな違ってそれがいい」となるはずだ。人種の違いしかり、犬種の違い然り、生物学上の種の違い然り。犬を愛せる人は猫も愛せるし、人も愛せるし、全ての動植物を愛せる。僕はそれを、無償の愛を寄せてくれる犬たちに教えてもらった。

■ 内村コースケ(写真家)

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。