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2022.06.30

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.16 やっぱり山がいい! 「犬の老後の選択」その後

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.16 やっぱり山がいい!  「犬の老後の選択」その後

写真・文 内村コースケ

犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。

一度は「街」と決めるも・・・

前回、高齢犬の「終の住処(ついのすみか)」の選択で、「山」と「街」の間で揺れる僕自身の葛藤を書いた。その時点での結論は、ベースは街のマンションで暮らし、時々山の別荘に滞在するというものだった。人間でもリタイア世代の田舎暮らしがブームになっている一方、年齢を重ねるほど便利な都会に回帰して余生を過ごす方が幸せだという考え方がある。前回の僕の結論も、それに近い発想だ。

うちにはアイメイト(公益財団法人「アイメイト協会」出身の盲導犬)を引退したラブラドール・レトリーバーがいて、先日13歳になった。僕は比較的「場所」と「時間」に縛られないフリーランスで、2011年から長野県の八ヶ岳を望む高原の別荘地に自宅を、東京の下町のマンションの一室に仕事場を持つ二重生活を送っている。といっても、どちらが自宅でどちらが仕事場かという明確な区別はない。

今年に入ってラブの「マメスケ」に、骨肉腫という重い癌の疑いがあると診断された。さらに持病の慢性腎不全も悪化してきたので、彼の終の住処を山と街のどちらにすべきか、という悩みができた。いずれも治療して完治する類の病気ではないため、QOL(生活の質)の維持という観点からさまざまな要素を考慮して出した結論が、「環境が緩やかで便利な街で暮らしながら時々山の暮らしも楽しむ」だった。

その結論を出してから1ヶ月。東京で療養生活を続けながら一度危ないところまで落ちたマメスケの体調が回復してきたタイミングで、お試しで山に一時帰宅した。すると、熟慮して導き出した結論が揺らぐことに。本人が予想以上に山の家への帰宅を喜んだのだ。

予想外のヨロコビ

人にこの「山か街か」の話をすれば、10人中9人が「空気のきれいな山の方がいいに決まっている」と言う。でも、それは人間の感覚に偏ったいささか情緒的な反応だと僕は思っていた。犬は人間と同じようには景色や風情を楽しんだりはしないから、「山の方がストレスが少ない」と決めつけるのはいかがなものか。少なくとも「場の空気」といった極めて情緒的な要素は犬にとってはあまり関係ないと考えていた。まして、マメスケは人間社会(=街)でアイメイトとして10年近く生きてきた犬である。街の生活にストレスを募らせているのは、むしろマスク生活に嫌気がさしている僕の方だというのが、前回の『Dog Snapshot R』で書いた結論だった。

さてさて、ところが、である。いざ山に5ヶ月ぶりに帰宅してみると、マメスケは長いドライブで疲れているはずなのに、別荘地内の「いつもの散歩道」をスタスタと歩き出した。街では、悪い方の足を引きずり気味に僕らの横か後ろをゆっくりと歩くことが多いのだが、足の不調が嘘のように、「早くおいでよ」と、僕らの方を振り返りながらリズミカルに先を急ぐ。急坂が続く山の散歩道を元気に歩くのはもう無理だと僕は内心考えていたのだが、それは杞憂だった。上り坂に息切れすることなく、以前よりむしろ元気に歩いているように見えた。

森の匂いに気分を良くし、勝手知ったる大好きな家に「帰ってきた」というコーフンなのは明らかだった。下り坂ではヨロコビの余り早足が止まらなくなってしまい、何度か足をもつれさせてヒヤヒヤしたくらいだ。とても穏やかな性格のマメスケがあまり見せたことのない姿。表情も輝いていて、思い切って帰ってきて良かったと素直に思った。

「山に帰ってこよう」

でも、もう一つ大きな問題があった。我が家は崖にへばりつくように建っていて、とにかく出入りが大変である。登山道のような土のままの急なスロープと石段を息も絶え絶えに登り、ダメ押しで最後に急階段が待ち受けている。足に爆弾を抱える老犬に、毎日2回ここを上り下りさせるのはリスクが大きすぎる。30kg近い体重を抱き抱えて登るのも非現実的だ。

業者を呼んで裏口に続く斜面に舗装された緩やかなスロープを作れないか相談してみたが、現地を見せると即座に無理だと言われてしまった。今のところ、ケモノ道をDIYする程度しか対策は見つかっていない。1週間の滞在中は、老犬介護用のベストで補助しながらなるべく勾配の緩い斜面を通って乗り切った。他にも東京の動物病院で続けてきた緩和ケアをどうするかという問題もあるが、八ヶ岳エリアにも良い病院があるようなので、こちらは問題ないだろう。

そんなわけで、懸念が完全に払拭された訳ではないが、何事にもメリットとデメリットはある。滞在3日目くらいには僕の決心は固まっていた。

前向きに仕切り直し

滞在中、高原ではレンゲツツジが満開を迎えていた。マメスケの最初のコーフンは徐々に収まり、やがて下り坂も落ち着いてゆっくり歩いてくれるようになった。一方、目の輝きと穏やかな表情は日を追っても変わらない。「やっぱり山が好きなんだなあ」という思いは確信に変わっていった。

約1週間滞在後、慢性腎不全の治療が続いていたので一度東京に戻った。病院で検査した結果、急激に悪化した1ヶ月前よりも、さらにはその前の月よりも数値が良くなっていた。ひと月続けた治療が効いたようだ。山で見せた元気な姿はその現れだったのだろうし、山に帰れたヨロコビが体調にプラスに作用した面もあるかもしれない。骨肉腫の疑いと結びついている後肢の骨の腫れも、今は外から見る限りはほとんど消えているように見える。

この原稿を書いている4日後にはまた山に帰る予定だ。先のことは分からないが、今度は少なくとも紅葉の季節までは、ずっと山にいたい。もちろん、状況が変わればまた街で暮らしたっていい。願わくば、冬にはまた「山か街か」で悩んでいたい。

■ 内村コースケ(写真家)

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。