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2024.01.18

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.34 愛犬と歩く郷愁の散歩道 「田舎」はみんなの心の故郷

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.34 愛犬と歩く郷愁の散歩道 「田舎」はみんなの心の故郷

写真・文 内村コースケ

犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。

日本の原風景、「田舎」を求めて

皆さんは、今年の正月は故郷や実家に帰省しましたか?

親の仕事の関係で海外で生まれ、子供の頃は日本と海外を行ったり来たり、大人になってからも国内のあちこちを渡り歩いてきた自分には、故郷がない。だから、東京の小学校に通っていた小学校高学年の頃は、冬休み前にみんなが「田舎」に帰る話をしていると、疎外感を感じたものだ。

僕が前半生をおもに暮らした東京の人たちは、故郷のことを「田舎」と呼んでいた。全国的にそうなのかな、と思っていたが、地方で暮らしている人たちは「田舎」という表現は使わず、普通に「祖父母の家」「実家」などと言う人が多いみたいだ。ともあれ、根無し草の僕には、都会人が言うところの「田舎」に淡い憧れがある。昨年から長野県の浅間山麓にようやく腰を落ち着けたが、少し足を伸ばせば茅葺きの農家の庭先に柿の木があって、背景に火の見櫓(やぐら)と山並みが見えるような日本の原風景がある。そういう所に住んだこともないし、地縁もないのに、時々ノスタルジーを求めて周辺の町や村、旧街道筋を歩く。やはり、自分の中にはたしかに日本人の血が流れていて、その原風景たる「田舎」を求めているのだと思う。

ところで、本連載で何度も取り上げさせてもらったアイメイト(盲導犬)のリタイア犬「マルコ」(本連載では仮名の「マメスケ」で登場)が秋に亡くなった後、アイメイトの不適格犬(さまざまな理由でアイメイトにならなかった元候補犬)の「ルカ」(2歳9ヶ月・オス)が新しい家族になった。今回は、「心の故郷」を感じさせる「田舎」の風景を、好奇心いっぱい、表情豊かなルカと歩いてみた。

ちなみに、トップの写真は、ルカがまだ来たばかりの頃、マルコの最初の月命日に中山道・望月宿で撮影したスナップだ。ルカは、縁あってマルコが亡くなって2週間でうちに来たのだけど、僕は、飼い主想いのマルコが僕たちの悲しみを和らげようと授けてくれた出会いだと思っている。そういう経緯からすれば、写真の「光の輪」は、何かスピリチュアルな現象のようにも見えるけれど、古い設計のレンズで逆光気味に撮ることでこうなると分かっていて狙ったもの。マルコがルカに託した想いを表現したつもりだ。



犬の散歩は「気づきの時間」

田舎町を歩いていると、路傍のお地蔵さんや円筒形の郵便ポスト、火の見櫓(やぐら)といった日本の田舎のアイコンが、まだわりとフツーに残っている。地方移住するまでは、たまにそれらを見かけるといちいち珍しがっていたが、ここ信州では日常の風景だ。こうしたことは、車で目的地との往復をしているだけでは気づきにくい。犬を飼っている我々は、「散歩」という気づきの時間を持っていることを、ありがたく思うべきなのだ。







心優しき犬たちと田舎を歩いて感じる「平和」







ローカルバス路線のターミナル、古いお寺の長―い土塀、すれ違い困難な裏道のトンネル、昭和レトロな町の電気屋さん。こうした田舎の日常生活と共にある空間は、観光やビジネスではなかなか触れることができない。「田舎」がある人は、帰省の際に、愛犬と一緒にあらためて周辺を探索してみると、様々な小さな発見があるかもしれない。

僕は、都会は人間社会全体の発展を志したり、人々の欲望を満たすためにある一種の「戦場」だと思っている。それに相対する田舎の日常は、「平和」の証だ。心優しい犬たちもまた、平和の象徴。僕にとっては、平和を胸いっぱいに実感することが、犬と一緒に田舎町を歩く最大の理由かもしれない。



今も変わらないものと、廃れゆく姿と





正月の帰省先では、ほとんどの人がお寺か神社に初詣に行くと思う。のんびり田舎町を歩いていると、要所要所で有名無名の神社仏閣を見つけることができる。日本人は無宗教だと言われるけれど、令和の世でも、祈りの場が平和な日常を守っていることに少しホッとする。

旧街道歩きもまた、趣がある。このあたりには中山道と北国街道が通っていて、今も往時の風情がしのばれる。個人的に少し残念に思うのは、観光スポットとして整備されている一角を除いて道幅が狭く、車道と歩道が分かれておらず、犬と歩くには注意が必要なことだ。そして、旧街道筋に限らず、今の日本の田舎は廃屋だらけだ。このまま地方から人口が減っていき、一層都会に人口が集中すれば、私たちの「心の故郷」は消滅してしまうのだろうか。





町歩きで見える時の流れ

田舎町に限ったことではないが、町歩きの楽しみの一つは、時の移り変わりを感じることだ。数年に1回程度の帰省で、その都度町の変遷を楽しむのも良いと思う。

地元のない僕にも当然本籍地はある。高校時代から断続的に住んでいた東京の下町だ。前の愛犬のマルコと最後に下町の路地を歩いたのは、2022年5月。その時撮った、東京スカイツリーが見える路地を歩くマルコの写真がある。スカイツリーの開業はちょうどその10年前の2012年5月だが、その頃の写真を探したら、ペット雑誌のグラビア用に似たような意図で撮った1枚が出てきた。2010年3月の撮影で、モデルのシー・ズーの背景に、まだ建設中のスカイツリーが見える。2枚の写真を並べると、愛犬のスナップでも背景を意識すると、後々こういう楽しみ方ができるのだな、とあらためて気づかされた。



何はともあれ、犬と散歩をするのは楽しい。犬たちだって、いつもと違う町を探索するのは楽しいはずだ。田舎に故郷がある人、都会に実家がある人、実家で家族を迎え入れる人、自宅でゆっくりする人、正月休みの過ごし方は人それぞれ。僕は、いつもより少しゆったりとしたペースで、休日の自宅周辺の町や村をルカと一緒に歩いてみた。





■ 内村コースケ(写真家)

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。