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2022.05.16

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.14 Peace - 平和なごあいさつ

Dog Snapshot R 令和の犬景Vol.14 Peace - 平和なごあいさつ

写真・文 内村コースケ

犬は太古より人類と一緒に歩んできました。令和の世でも、私たちの暮らしにさまざまな形で犬たちが溶け込んでいます。このフォトエッセイでは、犬がいる情景を通じて犬と暮らす我々の「今」を緩やかに見つめていきます。

イグアナも安心する穏やかさ

「ケンカをしない、らぶらど〜る・れとり〜ばあ♪」―。ある冬の夕方、うちの犬の様子を見て、近所のやんちゃな子どもたちが歌った歌である。我が家の「マメスケ」は、6月で13歳になるアイメイト(公財「アイメイト協会」出身の盲導犬)のリタイア犬で、極めて温和な性格だ。その時は、散歩の途中ですれ違ったヨークシャー・テリアに吠え立てられたのだが、マメスケは微笑を浮かべてその様子をボーッと眺めていた。すると、ヨーキーの方も、スッとトーンダウンして、静かにその場を立ち去っていった。その様子は、子どもたちにとって、歌にしたいほど印象的だったようだ。

最初は警戒していたり、攻撃的だったりする犬も、マメスケの穏やかさに触れると、一様にフレンドリーになるか関心を失って去っていく。こんなこともあった。「噛むから気をつけてください!」と言いがら、前からイグアナと飼い主さんが緊張した様子で歩いてきた。でも、イグアナは長い舌を出し入れしながら、自然体でこちらに向かってきた。飼い主さんは、「あら?この子は大丈夫なのね?」と、びっくりした様子。普段は絶対に犬には近付かないとのことだったが、マメスケとは至って平和的な邂逅を果たしたのであった。

鼻をくっつけてペロリ





リタイアした今は、マメスケには散歩中の犬同士のあいさつも自由にさせている。顔の表情は比較的無表情だが、いつもしっぽをグルングルン回して喜んでいて、実は触れ合いが大好きだ。初めにお尻を嗅ぐこともあるが、それよりも、鼻と鼻、顔と顔をくっつけるアプローチの仕方が多い。好戦的な犬同士だと顔から行くとケンカになってしまうこともあるが、マメスケの場合は、それでも相手を怒らせたことはない。安心した相手が、頭や耳、鼻をペロリと舐めてくることもある。

「こんにちは!」と若い犬に元気に挨拶され、「あっ、よろしくね・・・」と控え目に答えているマメスケの小声が聞こえそうな、平和なあいさつ風景なのである。

年長者を敬う「優しさ」



マメスケがおとなしいからといって、マウンティングされたり、しつこく追いかけ回されたりするようなこともない。大型犬ということもあり、弱い存在だとは見られていないと思う。

マメスケが高齢なことも、軽んじられないことと関係していると思う。僕は若くて元気な犬が、相手が高齢だったり、病気や怪我で弱っていることにつけ込んで虐めたりマウント取るような姿を見たことがない。犬は、集団の中で上下関係を確立したがるが、年長者を敬い、弱者を労る本当の「優しさ」も併せ持っていると思う。

一瞬で平和が訪れる魔法

「ケンカをしない、らぶらど〜る・れとり〜ばあ♪」と、即興で歌った子どもたちは、「本当は強いからケンカをしないんだよね」というニュアンスを込めていたように聞こえた。僕には、マメスケが「本当は強い」のかどうかは、実際のところよく分からない。ケンカをしたことが一度もないのだから、本人にも分からないだろう。「強い」とか「弱い」という概念すら希薄なのではないだろうか。「勝ち負け」や「上か下か」ということにもこだわっていないように見える。一種の悟りの境地だ。

思えば、いまだ終わりの見えないロシアのウクライナ侵攻を目の前にしても、人間たちは争いを起こさない方法も、止める方法も見出せないでいる。「武力でしか戦争を抑止できない」と言う人もいれば、反対に「たとえ一方的な侵略の被害者であっても、人命第一で直ちに降伏するべきだ」という極端な意見も飛び交う。僕自身、ウクライナとロシアの歴史を知識でしか知らず、実際に現地を見ていないから、迂闊に「これが正解」だとは言えない。

ただ、マメスケと犬たちとの「あいさつ」を日々見ている僕には確信がある。最初は敵意や警戒心があっても、鼻と鼻を付き合わせた瞬間に、サッと両者が平和な空気に包まれる魔法があるのだと。みんなと仲良くならなくても、理解し合わなくてもいい。でも、敵を作らなければ争いは起きない。それを実現している犬が、実際に僕の目の前にいる。

■ 内村コースケ(写真家)

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験後、カメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。